南風があったかい

真の愛、Peace、沖縄。探究

神さまは何を予定されているか。

お久しぶりです!

好き勝手書いてますが(^-^)よろしく。


聖書では

神様はあらかじめ定められた事を

必ず実行される。

とあり

全ては神様が決められての事と考えるのが信仰の基本であるようですが、、


では、神様はどこまでを予定されているか。


全てを神様の予定とし、

イエスの十字架の死や、堕落も予定であったのか、、


もし、そう考えなければならないならば、疑問に思い、とうてい受け入れられない思いがあります。


イエス様の話しをもっと聞きたかったろうし、一緒に居て神の思いを聞きたかったろうし、、しかし、当時の人々には思いもよらぬ話しゆえに聞く耳も悟りもなかったと言います。



イエス様はあからさまに語る時が来る、また来る。と、全てを語らずのまま十字架の時が来ました。

その時も、この盃を過ぎ去らせてください。と懇切に祈ったこの思いを理解することができるでしょうか、、。



もし、十字架の道が神の用意した道であるというならば、

人々が信じたら

イエス様の十字架は果たされず、、

ということになったのでしょうか、、


終末には

戦争があると聖書にあります。

そうすると神さまが戦争を予定したのでしょうか?


そう考えたら変ですね。




神さまは色々用意してくださっていますが、

人間の責任が5パーセントほどあり

その遂行いかんで、着き行く道を預言を二とおり用意せざるを得なかった。


というのです。


ですから、、

人々が神の願いを知らぬままに、

闘争を繰り返すと、戦争に行き着き

、、その時、終末を感じて


メシアを求めるか

そうでないかは人間の責任で

行き着く先が違うでしょう。


この戦争を目たの前にして

なにをしたら良いか。

神さまがしてほしいことを考える。


バカにすることはできないはず、、

人の生きる道。